特集記事:第1弾「ムーヴ・ライク・フローイングが出来るまで」

特集記事:第1弾「ムーヴ・ライク・フローイングが出来るまで」

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それでは最初に、ムーヴ・ライク・フローイングを、立ち上げられた経緯を教えて頂けますか?

橋間誠院長 はい。私は35歳まで整形外科医として総合病院に勤務し、そこでは怪我をした方の外来診療や手術や、慢性的な病気、膝の軟骨がすり減ったしまったり脊椎に障害が出て歩けなくなってしまった方の手術をたくさん行っていました。何もしないでいると、あと半年くらいで恐らく歩けなくなっていた人を、人工関節にすることでまた15年か20年くらい歩けるように治療する、自分が良い選択を勧めてそれから10年も歩いていられたんだなと、仕事は辛いこともありましたが、良かったなと思う事もたくさんありました。

 ただ、どうしても納得いかない所があって、それは、悪くなりかけているんだけど手術するほどではない方、例えば、軟骨が残っている・脊髄の機能も残っているような方には手術ができないんです。でも、手術するほどでは無い方こそ、外来患者さんのほとんどで、そのうち手術する方はほんの一握りです。ほとんどの方はお薬をお渡しして帰って頂くことになる。私が納得いかなかったのは、その方々に十分なアドバイスは出来ていなかったという事です。

column01 手術に関する事は学生のころからすごく訓練をしていますが、手術する必要の無い方へのアドバイスに関しては非常に知識が薄かった。ある日「手術しないで良い状態をどうやって保っていったらいいんですか?」と患者さんから聞かれた時に、「フィットネスに行って下さい」とか「プール行って下さい」というような抽象的な無難なアドバイスしか出来なかった。さらに、病院ではどうしても診療時間の問題があって十分な対応が出来ない。 その時、患者さんが非常に寂しそうに、残念そうな感じになっていくのがわかりました。そこを解決出来ないか?と思ったのが立ち上げのきっかけです。まだ誰も取り組んでいない。だからこそ、一生をかけて情熱を持ってやっていこう!と考えたのが運動療法でした。

クリニックとフィットネスを同じ建物の中で運営するという 構想はどれくらい前からあったのですか?

column02 35歳から考え始め39歳までの4年間は各地のスポーツクラブを見学させて頂いたり、勉強をしていました。そこで、世の中のスポーツクラブ経営の難しさ・厳しさを知り、利益を出すのは本当に大変だという事がわかりました。ただ、私はまずは利益よりも患者さんの痛みが取れること、日常の動作が楽になったということを第一優先にしていたので、続けていけば最終的には必ず良いものが出来るというイメージでした。また、このときにスポーツクラブと提携してやるというのは、1つの方法だったのですが、経営者がコロコロと変わってしまう、時間を作って経営者とドクターが頻繁に会うということが現実的に難しいという問題がありましたので、「いっそのこと、クリニックとスポーツクラブを一緒に作ってしまえばどうか?」と考え、調べ出しました。ちょうどその頃、医療法42条施設というのが規制緩和され、それはまさにフィットネスクラブとクリニックを同一の建物の中で経営しても良いというものだとわかりました。医療法42条施設を知って、「よし!それをやろう!」と思ったのがそもそもの経緯です。

特集記事:Vol.2「ムーフロ立ち上げ時の苦労と喜び」へ続きます。

カテゴリー: Move Like Flowing コラム

この記事の著者 :
橋間 誠

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